原因不明の病気 1 まずは活元運動から

何かのきっかけで起こるという病は、当然原因は明らかだ。しかしそのきっかけがよくわからない。つまりこれといった無理もストレスもないところで、体が勝手に病むこともある。ガンなどはそうかもしれない。違和感を感じて、検査したらガンだったという話はよく聞く。
 「なぜガンになったのだろう?」といろいろ考えても、そう考えてゆけば思い当たることもいくつかあるだろうが、「これが原因か!」とはっきり結びつくものがない。

 原因が漠然としているものに対して、人は不安を抱く。「何かの祟りか」とか悪いほうばかりへ空想がゆく。その悪い空想が余計に病を悪化させたり経過を悪くさせたりする楽天的に考えようとしても、得体の知れないものを抱えている気分のときに、楽天的に考えることは難しい。そのようなことも作用して、ガンなどの難病は悪化に向かうことが多い。

 実際、「意識の側」に原因を探しても「よくわからないというか、無い場合」もある。すると原因は意識にはなくて、いのちの働きそのもの、あるいは無意識の側にあることもある。 
 いのちの働きにあるとは、「いのちが自発的に病む」ということだ。もうひとつ、無意識にあるとは、原因が生まれる以前にあるとか、他人の念が作用しているなどだ。これは難しい!だから、いのちの働き、そして無意識の働きを丁寧に解説してゆこうと思う。
 

 解説に入る前に、読者に注文するとすれば、いわゆる「医学、物理化学、生物学」あるいは「心理学」などの「学的理解」にとらわれない頭の柔軟さだ。「学」というものは、「物の働き」を論理的に解き明かそうという姿勢がベースにある。つまり、他と分かれた固体、物体を認めているが、その固体、物体自体に自発的運動はないと考えているのだ。
 

 私たちの体、手足も、そして心も「意志」によって動くのであって、「動かそうという意志」がない限り動くことはないという考え、その考えに基づく空想を敢えて否定し、私たちの手足や心は、「私たちの意志に無関係に働くこともある、あってもいいじゃない」というふうに頭を柔軟にして読んでほしい。
 
 それと整体で勧める「活元運動」は結びつく。私たちの意志に関係なく、体が勝手に動くことを体験し、それを頭と心で認めていくことは、不可解ないのちと無意識を理解していくことにつながっていく。