原因不明の病 心と現実の時間のずれ

原因不明の病というのは、今現在、理性的反省をしても今ひとつピンと来ない、記憶をたどっても結びつくことが見当たらないような、つまり理性的には大したことがないと思われている出来事や、遠い過去(過去世)に原因があることが多いのです。


大したことがないこととは、ちょっとしたコミュニケーションの行き違い。これは人と人の物の捉え方、感じ方の違いから生ずるわけです。それが理性でも解るからこそ頭にも来ない。あるいは一瞬むかついたとしてもすぐに収まります。
でも逆に、その些細なことが原因で、仕事や対人関係をダメにしてしまったりすると、納得が行きませんね。
そしてそのことに、心はこだわり続けます。

しかし、現実には時間が過ぎてゆきます。翌日には気を取り直して仕事に向かうでしょう。でも、心が「その些細な出来事」にとらわれていると、頭と体は今の現実にあっても心ここにあらずとなります。
すると当然、今することに今ひとつ「身が入らない」。

最初のうちは、単に「身が入らない」だけだったのが、時間が過ぎてゆくに連れて、「疲労」となってゆく。その疲労も、体をほぐしても解消されない。


さらに時間が過ぎてゆくと、その間に様々な出来事も重なって、「その些細な出来事」は理性の上では忘れられてゆく。
しかし、心にはしっかりとその時の記憶は刻印されているのです。
さらに時間が過ぎてゆくと、「その些細な出来事」は、怒りや悲しみなど、感情に育ってゆくのです。
しかし、理性では忘れられていることだから、何で自分はハラがたっているのか、悲しいのか解らない。


さらに時間が過ぎてゆくと、その怒りや悲しみは、身体のある臓器、器官に影響を与え、「身体の病」となるわけです。


過去世、つまり前世に原因があるという説は信じる人と信じない人もいるでしょうが、自分の親か祖父祖母、あるいはその前の代の先祖の想いが、何かその家庭にひとつの「空気、雰囲気」を形成し、その「気」に身体が感応して病気になると考えても良いでしょう。いずれにせよ、「過去の心の傷」であることに違いはありません。

その傷は、傷を負った日から時間が過ぎてゆくほどに、理性では忘れられてゆくのに反して、心のほうでは傷は深くなるわけです。