原因不明の病 原因は「無意識にある」

 私たちの体は、意識、つまり理性の望み、指令どおりに動くと思っていますが、意識で動かせるのは「運動系」と呼ばれる手足や背中の筋肉、および呼吸を司る筋肉だけなのです。それ以外は意識では動かせないのです。
しかし、その骨格筋にしましても「錐体外路系」と呼ばれる全身の協調作用を司る神経系と自律神経の働きの上に成り立っています。 つまり、錐体外路と自律神経の協力がなければならない。しかしこの錐体外路と自律神経の働きは「無意識的」であり、「無意識の心」の影響を受けています。ということは、意識つまり理性の要求と無意識の要求に食い違いがあるとき体が病むと言えます。 

 

 無意識の心にあるものは、前回で書いたように「過去の記憶」があります。その「過去の記憶」が統合されて「自分の心」が形成されます。その自分は過去からの連なりですから、過去一切を覚えています。その中には「過去世の記憶」も含まれます。
 その自分は「こういう人生を送りたい」という気持ちを持っています。一方、頭、理性は今の現実社会に適応しようと考え行動します。

 その理性的行動と自分の心の求めるものが食い違うと、前回で書いたように、行動に身が入らない。頭がうまく働かない。そこを努力して、いろいろ学習して世渡りのためのノウハウやら哲学などを身につけたり、あるいは、あこがれる人物の考えや行動を身につけようとする。
 結婚した場合は、女性であれば「その家庭」になじもうとするだろうし、男性も奥さんやその両親などとうまくやろうとする。

 そのこと自体悪いことではないし、むしろ現実的努力をしない、つまり場になじもうとしないほうが悪いこととなる。

 ところが、その現実的努力が「自分の心」の求めるものと食い違っていると、常に「何か違う」「何か満足出来ない」という想いがつきまといます。しかしそこに明確な理由は見出せないし、見出せたとしても個人的な我儘として、その想いを否定します。しかし否定してもその想いはなくなるわけではない。

 その想いが抑圧されて年月を経て、意識から忘れ去られる頃に、逆に身体を脅かすようになる。しかし本当は脅かすのではなく、その想いを身体症状として表現しているのです。

 

 そう考えると、ほとんどの人が「心」において今の現実社会に生きることを、むしろ望んでないんじゃないか?みんなどこかで「何か違う」「何かおかしい」という想いを抱いているんじゃないか?あるいは過去に一時期そういう想いを抱いたことがあるんじゃないか? そこを掘り起こしてみると、原因不明の病の原因、あるいは社会現象として現れている「うつ病」などの原因が解るのではないかと思うのです。