原因不明の病気 2 いのちの自発的な働き

 いのちというものは、私たちの意識がそれを望む望まないに関係なく、自然環境に適応するように働いている。単純な話、寒いときは熱の放射を防ぎ、毛穴を縮め、体温が下がるのを防ぐ。夏は逆の動きをすることで体温が上がるのを防ぐ。
こうして、体温は36度前後を保つ。
 また、自然界も急な変化はなく、ゆるやかに季節は移り変わる。その限りにおいては、人の体が病むことはない。

 病むのは、外気が急に変化したとき。暑いなかで雨が降り急に冷え込む。寒い日が続くなかで、晴れの日が続き暑い日があるような場合。あるいは、体力以上の、身体能力を超えた刺激が外から加わった場合。わかりやすい例は交通事故。人の体に車を跳ね飛ばすほどのパワーはない。このような場合は病むというよりは体のどこかが破壊される。

 しかし、体に異常が生じたとき、いのちはすみやかに熱を上げたり腫れたりする。そのようなときは食欲が落ちたりやたら眠くなったりする。骨が折れたり筋肉が断裂すれば動かないようになる。
 実は、私たちが病気や怪我といっているのは、この一連の異常回復現象のことを指す。この「回復現象」を病気や怪我と言っていろいろ治療を施す。

 その治療も、回復の流れに沿うようにするなら自然の変化の時間の流れのなかで体は回復する。
しかし、回復のなかで起こってくる痛みや熱が苦痛だから、それを下げたり止めたりするなら回復の流れは遅れる。


 いのちの側からすれば、すべて自然の変化が起こっているに過ぎない。痛みも熱も自然であり、それを妨げれば妨げられたなりに反応するに過ぎない。回復の流れが遅れようともつれようと、回復に向かう、自然に適応するという方向が狂うことはない。こうした意味からすれば、いのちが病むことはない。

 すると原因が不明とは、意識の側で正しいと思って行っている日々の健康管理そのものに間違いがあるのかもしれない。