忙しいとき病気になる意味 3

もうひとつ、考えられることは、忙しいがために「自分の中心」を失ったということ。
つまり自分の体、心、考えに「まとまり」がなくなったということ。
 

 自分の意識の中心については、以前にも書いたが、「自分は本来どういう人間なんだろう」ということ。他人から認められようと、いろいろな表現をしたりして「心にもない」ことを、つまり「自分の気持ちとは裏腹な」ことを言ったりしたりしているうちに、自分は一体どういう人間だつたのか忘れてしまうことがある。 もともと内向的で社交が苦手な自分だったら、そこをいくらがんばってみても、もともと外交的な人のようにうまくは出来ない。すると思うように出来ないどころか、うまく出来ない自分を責めたりするかもしれない。

 
 このような場合は、社会の中で生きていくために苦手なこと、いゃなことをがんばってするのは良いが、もともと自分はどういう人間なのか、しっかりと自覚しておくと良い。今挙げたケースなら、「内向的で社交が嫌いな自分」を認め、その自分を愛し、「その自分が苦手なことをがんばってやってるんだ」としっかりとありのままの自分と現実にしている行為を見つめる目を持つことだ。
 


 次に「考えの中心」がずれている場合。
今、自分は何を中心に物事を考えるべきか。仕事、家庭、友達との付き合い、恋愛などいろいろある中で、何を日常の中心に据えるかということ。 例えば、今自分は恋愛に燃えているなら、そのことを常に考え、ほかの仕事とか家族との関係は、今中心に据えている恋愛を成り立たせるためにある、と考えてみる。そう考えることで、自分の気持ちと頭がまとまるかどうか、身体的には「頭蓋骨が締まる感じ」がするかどうかを指針とする。
 考えの中心を間違えると、考えがまとまらない、考えることに気持ちがついてゆかない、その微妙なシグナルを無視すると頭痛となったり、うつ病となったりする。 

 ただし、考えの中心は固定的にしないこと。流動的に臨機応変に中心を移し変えることも必要だ。