忙しいときに病気になる意味

 仕事が忙しい、家庭のことで忙しい。そのようなとき、風邪を引いたりぎっくり腰になったりすることがある。
のんびり寝てなどいられないから、早く治したいと思う。そのために、薬を迷わず、あるいは仕方なく飲んだり、すぐに治してもらおうと整体に訪れる。

 しかし、人の体というのは自然の流れに沿って動いている。その辺は台風や地震などの天災と同じである。
まぁ人の体の病は予防することも出来るが、台風や地震は予防のしようがない。
 そして、病も台風も起こってしまったら、それが自然に去るのを待つしかない。

 自然に去るのを待つしかないなら、治療など必要ないし僕がこうして整体をするのもおかしい。しかし僕の整体治療は、自然がスムーズに流れるようにするものであり、自然の流れに逆らうものではないのだ。
 

 忙しいときに病気になるのは、疲労が蓄積しているからだろう。ならば休むのが良い。でも休めるなら治すことに焦らないと人は言う。そうだろうか?本当に休めないのだろうか?

こう自分に問いかけてほしい。休めないのは、他人に迷惑がかかるからか?それとも自分に迷惑がかかる?からか。自分に迷惑とは、休むことで自分の社会的立場を失うことを恐れているのか、あるいはだらしないと人から見られることを恐れているのか? そして、風邪などで休んでいられず無理してがんばっているうちに大きな病となり入院を余儀なくされる。
 
 
 入院のために仕事を休むことは、周りからも同情されるし医師の診断書で休暇も認められる。
うーん、そこのところが僕から見ると、妙に思う。それだったら風邪やぎっくり腰で休むことも同じように考えてよかろうに。
 

 そしてまた忙しいときに病むのは、本音を言えば「休みたい、この場から離れてリフレッシュしたい」のではないか?それくらいの本音、なぜ認められないのだろう。確かに、それを語ったところで周囲のみんなも大変な思いをして働いているのだから、そんな要求は通らないことを感じているのだろう。でも、通らないにしても、自分の内面にはそういう気持ちがあることは認めておく必要がある。

 それを認めていると病む理由がわかるし、たとえ休めなくても、すぐには治らなくてもそれを受け容れられるからだ。病むことを受け容れると、回復は早い。