内観的整体セラピー 6 性急に癒しを求めない

ほとんどの人は、今の私の体はどうなってるの?この違和感はどうしたら解消出来るの?ということを知りたくてやってきます。僕ははっきりしているものについては、それを伝えます。そして、はっきりしているものを尋ねる方も、実はどこかで実感としてうすうす感じているから、僕の伝えることは、本人が感じていたことが正しかったかどうか「確認する」ことになります。それはそれでよいのです。

でも、原因がよくわからない、いろいろなことをしたがいまひとつすっきりしないことについては、僕もそれがわかるのに時間が掛かる。何回かセッションを重ねないと見えてこないものがあります。

見えてこないというのは、ひとつには僕とあなたが内面を感知できるほどに同調していない場合、またあなた自身が内面と同調していない、つまり「受け入れよう」という姿勢がない場合、そこを見るというのは難しい。
そしてこのようなはっきりしないものに対して、性急に答えを求める、つまり解決法や解決に至る方法を求めるということ自体が、「受け入れようとしているのではなく変えようとしている」のであり、その心の姿勢では内面は見えてこないのです。これは僕のセラピーの方針ではなく、自然の理としてそういうものなのです。


だから、わからないものほど性急な解決を求めず、それとじっくりと向き合う姿勢が必要となります。
わからないものをそのまま受け容れるとは、「はっきりしない態度、決断に迷う揺れ動く心、二者択一で葛藤する心を許すという寛容さ」と通じてきます。子供が成長するのを時間の経過とともにじっと見守る、子が親に背いてもそれをじっと我慢し許す親の心と通じてきます。


そこには、治すというより自己成長のプロセスとして捉える姿勢があります。