内観的整体セラピー 5 自然って何だろう?

考えや行いに無理や不自然があるから病気になると述べましたが、不自然って何なんでしょう。
例えば、私たちがあたりまえにしている行為には不自然や無理を感じません。タバコを吸うにしても、タバコが嫌いな人が無理に付き合いで吸うならともかく、自分の嗜好で吸っているのならそこには不自然も無理もありませんね。
お菓子や果物なども、好きで食べている行為に不自然は考えられません。
以前僕が食養をしていたときは、むしろ玄米菜食を続けることにかなり「するんだ」と意識的にならないと続けられませんでした。食べるものを気にかけず食べたいものを食べたいだけ食べるほうが僕にとっては自然でした。



すると、タバコや甘いもの、食べるものを健康上言われるのは、それ自体が体に毒なのではなく、吸いすぎ、食べすぎが体に毒なのです。吸いすぎたか、食べ過ぎたかは味覚の変化、つまりおいしく感じられたものがおいしくなくなる瞬間でわかります。僕はビールを飲みますが、おなじビールでも日により味が微妙に異なり、一杯くらいでいらなくなるときもあればおいしくて何杯でも勢いよく飲めることがあります。そのようなときでも、途中からおいしくなくなる瞬間があり、それを過ぎると酔ってきます。それを過ぎても飲みたいときもあり、そんなときは自分の心が飲みたがっていることがわかり、その心を見つめながら飲んでます。



仕事でも対人関係でも、好きなこと、好きな人には自分からしたくなる、会いたくなるけれど、嫌いなことを頼まれたときは腰が重たく、高い報酬がなければその気にならないものです。
しかし好きな仕事、好きな人でも長く続くと、そのときの気分でやる気がなくなったり会いたくなくなったりすることもあります。好きな仕事でも気が乗らないときにすることは、無理になり不自然になります。
反対に嫌いなことでも、嫌いな人でも、その日の気分で「やってみよう、会って見よう」という前向きな気分のときもありますね。



いのちの働きというのは、曲線的であり、いろいろ変化します。変化することで調和、バランスを保っています。
だから、好きな食べ物、好きな仕事、好きな人でもその日そのときによっては嫌いなときもあり、好きでないことが好きになるときもありますね。太っている体も、いのちの働きに沿った曲線的思考で行動すればいつかやせるときが訪れます。しかしそれがいつの日かはわかりません。しかし太っていても体が軽く感じられるときは、太っていて自然です。やせていても体が重たく感じられるなら不自然です。


すると、自然というのは心と体が快く感じるとき、楽しく感じるときであり、それは決して同じ状態が一定して続くのではなく常に変化しているということがなんとなくおわかりでしょう。仕事でも、物事がうまく運び楽しいときというのは長くは続きません。うまくゆかないときが訪れ、またしばらくするとうまくゆくようになる、の繰り返しです。


すると不自然というのは、一定した状態、安定した状態を望むことにあり、その願いにとらわれすぎて感覚を鈍らすことにあるのですね。