生命感覚を取り戻す 3

以前、僕は薬を飲むことに反対でした。自分はもちろん、自分の家族やクライアントが薬を飲むことに反対でした。

でも最近は、自分は薬は滅多に飲まないけれど他人については容認しています。


もちろん、病気の症状自体が体のバランスを回復する生命の働きなのであり、体のバランスが回復していくプロセスでいろいろ感覚の変化、感じ方の変化が起こってきます。
薬を飲んだり、背骨や骨盤を矯正してすぐに痛みを取り除いてしまうことは、一見体のバランスが回復しているように見えて、実は回復していないのです。
なぜかというと、感じ方の変化が起こっていないから。


でも、もともと感覚が繊細で滅多に薬を飲まない人がバランスを崩すこともよくあります。
特に都会の中で、毎日忙しくいろいろな人と関わり、家でも家族の関係が今ひとつ呼吸が合っていない中では、感覚が繊細であればあるほどストレスがたまります。
うつ病になるというのは、感覚が繊細だからです。
感覚が繊細な人が、このような環境に身を置かなくてはならないとき、どうしても身を守るために表面の心を粗くしなくてはならないことがあるのです。

表面の心を粗くするとは、自分を主張したり、自分の本心は隠したり、他人の心は感じないようにしたり、物と金に自分の心を投影して、それによって心を慰めたりするわけです。
しかし、もともと感覚が繊細であれば、その行為が世をしのぐ仮の姿であって、本来あるべき姿ではないことが自覚されています。

このようなとき、病気になって薬を飲まずに治そうとすることは、心のエネルギーを余計消耗することになる。


薬を飲まないことで、心がかえって力むなら、それは生命感覚を取り戻すことにはならない。
かえって薬を飲むことで心が落ち着き、繊細な感覚が働くなら、薬は飲んでもよいわけです。


大切なことは、身心のバランスが崩れたときは、心を静め力を抜き、繊細な感覚を働かせ、内的な要求に従うということです。内的な要求として薬を必要とするなら飲んでも良いのです。
反対に、病気と戦おうとして、自分と戦おうとして、科学文明と戦おうとして、薬を飲まず自然療法を選ぶ人は、心が怒りに支配されやすらぐことはなく、繊細な感覚にはならないのです。