生命の感覚を取り戻す

骨盤が歪むということは、生命の働きにどこか反する、あるいはずれた行為を意識がしているということです。

生命の感覚というのは、とてもデリケートなもの。
ちょっとしたことでリズムが狂い体調を壊します。
しかしちょっとしたことで狂うということは、ちょっとしたことで元に戻ることでもあるのです。


流動的で臨機応変、変動が激しいがすぐに治まり、今の状態や動きに固まることは本来ないのです。

なので多少無理をしても、寝ている間に疲れがとれるわけですね。疲れがとれるということは、骨盤も元に戻っているということ。
寝ている間に疲れがとれる人というのは、割合と感覚的に生きており、体に負担がかかるほどのストレスもなければ無理をするほどの責任も欲も抱えていないということです。


ということは、体に負担がかかる、つまり骨盤が歪んで元に戻らないどころか、そこから痛みやら、いろいろな病気になっていく人というのは、かなりのストレスを抱えているか、義務やら責任感に縛られているか、体に無理をかけてでも何かを成し遂げたいという欲がある。あるいは内面に体を壊すほどの怒り、恨み、悲しみなどの感情がある。


ともかく、こうした体に負担をかけてしまう意識というのは、とても粗い感覚なのです。

粗いというのは、どこか物事を力ずくに、自分のエゴを通そうとしているところがある。物事の結果に固執して、自ら改革していくことは好んでも、事のなりゆきで変化させられることを好まない。


問題なのは、このような粗い感覚で日々を過ごして壊した体を同じ粗い感覚で治そうということ。

病院の患者の扱い方も、世間の健康サロンも、どこか粗い感覚があります。

それは、やたらに薬を処方したり、手術しようとしたり、人の体を強く揉み解したり、意識て決めた時間管理と金銭条件の中で治療しようという行為に現れています。
あるいは、病院やリハビリ施設は室温を一定に保っているようですが、それは生命の感覚を鈍くしてしまうのです。

15分いくらとか、1時間コースとか、いつまでに何回で良くするという発想は、自分の意識の在り方を省みず、それについてこない体を叱り飛ばすようなものです。


心が力んでいるのです。


その心の力みで生じた体の不調を、いつまでに治そうと力んだ心で対応しようとしている。
治療される人も治療する人も。
人に任せるとか、人に従うとか、時節の到来を待つとか、なるようになるさ、という心の姿勢がとれない。


では、生命の感覚を取り戻すとか骨盤の働きに従うということは?
もうおわかりですね。


心の力を抜くということです。