からだの中心

今回から、少し「中心感覚」について書こうと思います。

中心感覚という概念は、野口整体の後継者の代表格でもあられる岡島瑞徳先生が最初に提唱した概念ですが、その感覚が目覚めると心と体がとても安定して充実するのです。

岡島先生その他の方々も、同様、中心感覚を大切にしていますが、身体という側面に絞って説明されているようです。

僕は、心や関係性という側面から、特に家族やパートナーとの関係に焦点を当てて説明を試みたいと思います。


でも、まずは体から入ります。


からだの中心というのは、まず姿勢の在り方からそこに自然に力が集まる処。ここを中心といいます。

例えば、パソコンを一日中使っている人は目や頭に力が集まっていて、そこが中心になっている。
美容師なら、右手あるいは左手、肩に力が集まって、そこが中心になっている。


ところが、目や頭、腕や肩が中心になっているというのは、自分の身体能力が十分に発揮出来る状態ではないのです。

そもそも、からだの外郭、末端の部分が中心となると力学的にまとまりが悪い。まとまりが悪いとは、力の伝達、全身への配分が悪いということ。あるところばかりに力が入り、あるところにはまったく力が入らないのです。

では、中心はどこにあると良いのかというと、骨格構造的にも真中のところ、つまり腰のところ。筋肉や内臓の位置も含めて立体的に中心を捉えると、腰のやや前、へそのやや下、そこのやや後ろ。
腰椎3番とへそと尾骨の先端を結んだ三角形の中心のあたりです。

そこに自然に力が集まる姿勢にすると、おなかと腰から末端へ、全身へと力が伝達し、身体能力が十分に発揮出来る状態になります。

その状態にあると、ある感覚が生ずる。
落ち着いて、リラックスして、頭は明晰、充実して、からだの中から力が湧いてくる。そのように説明すると、何か若い男性、スポーツ万能のビジネスマンなどがイメージされるかもしれませんが、それは間違いです。

性別、年齢、体質、気質に相応した、その人の今現在のありのままの能力が現れてくるのです。

男性なら男性的な、女性なら女性っぽく、性格が内向的なら内向的であることの長所が現れてくる。
頭の働きは、その人の最も自然な速さで働きます。
語る調子も、その人の最も自然な口調になります。
お年寄で体が不自由な方なら、その状態の中で最も自然な体の動きが現れてくる。



だから、中心感覚が目覚めた状態というのは、人それぞれで他人との比較は出来ないし、そうした評価は相応しくない。

だから、他人を意識して行動していると、バランスが崩れ、体の中心がおなかから他のところへ移ってしまう。
すると、動作がギクシャクしてまとまりがなくなってくる。頭の働きも悪くなり、語る調子もいまひとつ、自分の言いたいことが表現できなくなります。