葛藤を大切にしよう2

病気なんて誰もなりたいとは想わない。でも生活習慣などで結果的に病気になるようなことをしてしまっている。

また、この人とは仲良くしたいと思いながらも、相手の悪い処ばかりが目に付き、それを指摘するためにいつもけんかになってしまう。


このように、私たちは頭で考えている事、望んでいることとは裏腹のことをやってしまっていることがよくあります。


ところが私たちは頭とは裏腹なことをする自分を認めたくないので、「それをする想い」は自分だと認めないのです。
そして、自分に、あるいは人に言い訳をして収めてしまうのです。

でもそれを認めないと、本当の自分がわからない、自分を思い通りには出来ないのです。


でも、頭とは裏腹のことをする自分を認めてしまうと、葛藤が生ずる。


「健康になりたい、でも甘いものをいっぱい食べたい。」「お金が欲しい、でもやりたい仕事では儲からない」などなど、いったいどちらが本当の自分なんだろう??


この葛藤が生じたら、むしろ体の症状は軽くなるかなくなります。対人関係においてもトラブルは生じにくい。それは、自分を責めるわけですから。
この意味で、葛藤は自分のいのちを守り、関係性を調和の中に収めることになるのです。


もちろん、葛藤なんてするくらいなら、病気してたほうがいいし、関係性のトラブルも気にならないというのなら、そちらを選んでもいい。


ともかく、身体症状の背後にはふたつ以上の心のせめぎ合いがあり、それが身体に現れるか関係性に現れるかする。


このことを理解してもらう意味で、僕の治療は、病気の背後にあるもの、体の中で起こっていることを見つめていってもらい、それを動きや声、イメージ、言葉で表現してもらうことがあります。
この作業で現れてくるものは、「病気を作り出している何か」です。

でも、その「何か」を自分とは認めたくない。頭ではわかるけど気持ちとして同一化できない。そこに葛藤が生まれます。


でもそれを認めたとき体は変わってくるのです。



この、体の中の声、病気の作り手と同一化していく段階を僕は「葛藤の自覚と表現」と呼んで、最も大切な段階としています。